京の街から外れた一件の長屋で、ため息をつく男がいた。
男の名は岡田以蔵。
土佐藩の剣客で、巷では「人斬り以蔵」と恐れられている男だ。
その男が何故こんなにもため息をつくものか…………
またひとつ、ため息をつこうと息を吐きかけた瞬間。
1人の来客が勢いよく部屋へなだれ込んできた。
「よぉ!元気にしちゅうか?」
訪れたのは、同じ藩の才谷であった。
いつになく暗い表情の岡田を見て、才谷の顔も険しくなる。
「その分じゃと、悩みでもあるんやお?」
「……どうして分かるんですか?」
「そりゃあ、おんしとは長い付き合いぜよ。」
「…………………」
「わしには話せんことか?」
「いや………」
「じゃあ話してみたらえいじゃろ?」
屈託のない笑顔を向けられて、岡田はしばし戸惑った。
しばらく考えこむと、意を決し、才谷の前に座り直し、両手を付いて頭を下げた。
「な……なんじゃ?」
岡田のとった意外な行動に、才谷が焦る。
「さかも……いえ、才谷さん!お願いがあります。」
「お……おぉ…?」
「俺に土佐弁を教えて下さい!」
「………………はぁ?」
話は数時間前に遡る。
岡田は、昼の京の街を歩いていた。
その隣にいたのは、新選組隊士の。
偶然街で彼女と出会い、時折こうして彼女の買い物に付き合ったりしているのだが…
「岡田さんって、出身はどこなんですか?」
「俺は土佐藩の出身だ。さんは?」
「私は会津です。」
互いの故郷の話で盛り上がっていたのまではよかったのだが。
話はひょんな方向へ進んでいった。
「岡田さんって本当に土佐藩の方なんですか?」
「ああ、そうだが……それがどうかしたか?」
「土佐の方って独特の訛りがありますよね。」
「……そうだな。」
「私の知っている人にも土佐藩の方がいるんですけど…」
そう言いながら、は不思議そうに岡田を見つめる。
「どうして岡田さんの言葉には訛りがないんですか?」
今までそのような事を言われた事はなかったので、驚いた。
さして気に止めたことはないが、確かに自分の話し方は、
明らかに才谷を始めとする、土佐藩の連中のものとは違っている。
「訛りがないのは変か?」
の一言に、急に意識し始め、問うてみた。
「変…じゃないですけど…不思議な感じがします。」
その一言が、悩み始めた岡田の心を固めさせたのだった。
何故、こんなにもの言葉が、心に響くのだろう。
どうして彼女の一挙一動が気になるのだろう。
得体の知れない気持ちに不安を抱えつつ、
才谷が訪ねてくるまで1人ただため息をついていたのだ。
「よう分からんが、わしが土佐弁を教えれば、おんしの悩みは解決するんじゃな?」
「はい。」
「わかった。ほいじゃあ今晩は、おんしに付き合うちゃるき。」
「すみません……よろしくお願いします。」
岡田は再び深々と頭を下げる。
「そがな丁寧に頼まれると、気持ちが悪いのぉ」
才谷は苦笑いをしつつ、岡田に向き直る。
かくして、岡田の長い土佐弁猛特訓の夜が始まった。
それから数日の後。
街の中での姿を見かけた岡田は、急ぎ早に彼女へと駆け寄った。
「さん!」
「あ、岡田さん。こんにちは。」
「相変わらず、今日も可愛いのぉ。」
「………岡田さん?」
それまで笑顔だったの顔が、急に真面目になった。
「何処か具合でも悪いんですか?」
「いや?わしはこの通り元気じゃ!」
「そう……ですか?」
「おまんに会えて、更に元気になったぜよ。」
会話を続けていくうちに、どんどんの表情が怪訝になっていく。
「さん?どうかしたかや?」
「今日の岡田さん、とっても変です!岡田さんじゃないみたい!」
「え…………」
その一言で岡田は、心に芽生えていた得体の知れない何かが、
ガラガラと音をたてて崩れていくような感覚に襲われた。
才谷が岡田に伝授したのは、土佐弁だけではなかったのだ。
こういうことに関して勘の鋭い才谷は、
岡田が何も知らないのをいいことに、
口説き文句を「挨拶だ」と偽り、
さも自然に岡田の口をついて出るよう仕向けていたのだ。
しかし、悲しいことに、その口説き文句は
の前では何の効力も持たなかったのであった。
あとがき
恋華版の以蔵くんは、とってもいい人で驚きました。
そして最近急上昇株だったりします。
その可愛さゆえに、ちょっと桜庭ちゃんLOVEな部分を出して
お話に登場させたい、と思ったのと
会話を聞いてて、何故彼は土佐藩の人間なのに
標準語で話すのかなぁ?…という疑問から
頭の中に4コマが浮かんだのが、この話を書く発端になりました。
両想いにしてあげられないのは、やはり私が
副長&総長好きだから…なのかもしれません(爆)。